旧東海道

ぶらぶら歩く旧東海道 第38回その1 JR関駅~鈴鹿峠越え~JR三雲駅

旧東海道
西の難所 鈴鹿峠越え。

今回一番心配なことは、鈴鹿峠にクマが出るのか!「ぶらっくま」を自称するも本物クマは怖い。

検索すると三重県クマアラートなるものがあります。鈴鹿峠周辺も目撃情報がかなり出ている。とりあえずクマ鈴と携帯ラジオ(ラジオを音を流すのが有効)を持参し、現地の人に情報もらってから行動することに決める。場合によっては旧東海道を諦め、国道1号を進むことに。

三重県クマアラート画面
目撃情報・跡は痕跡の意味? 画像は10月28日現在の情報です。

11月1日(土)8時10分頃、JR関駅に到着。天気はこれより快晴の方向。前日雨のためホテルを延泊し今日訪れたが、鈴鹿峠は雨で地面がぬかっていないか心配。

ホテル到着時フロントで確認すると「鈴鹿峠でクマの目撃情報は聞いたことがない」関宿の古雑貨Cafe古亜さんに聞くと「鈴鹿峠にクマが出たと聞いたことはない」「それより野生のシカ・イノシシ・サルに気を付けて」と教えてもらった。クマ鈴・ラジオをつけて旧東海道を行くことに。

この先、バーベキュー鈴鹿峠(宿泊施設)以外お店が一切ないので、パン2個とお茶500㎖×2本を持参。

JR関西線 関駅

前回関宿の宿場町を転び石まで行ったので、今日は国道1号でここまで来た。

びっくりや 大型トラックも駐車できる焼肉屋で有名だそうです。

ここはよく雨が降る地形気象で、室町時代の画家、狩野元信が絵の仕上げをしようとするも、雨風強く仕上げを断念し筆を捨てたという伝説が説明板にあった。

筆捨山
東海道の案内板 こういうの助かります。
山間地の村落
天文台童夢(どーむ)
宿場の名が記された柱が並ぶ。
鈴鹿峠自然の家(旧坂下尋常高等小学校)

東海道 坂下宿(四十八宿) 9時26分到着。

むかしは本陣が3軒あり、鈴鹿の難所越えで大勢の人で賑わっていたが明治23年、関西鉄道加太駅が開業すると急速に衰えたそうです。本陣跡にしては寂しい。

松屋本陣跡
坂下宿 案内板
大竹屋本陣跡
梅屋本陣跡
かなり登ってきたが。
まだまだ登る。
右の登山道入口みたいな方が東海道。

クマ鈴をリュックに付けていたが、ここで一応携帯ラジオのスイッチを入れる。

前日の雨は大丈夫そう。
坂下宿~鈴鹿峠 案内板

片山神社の右側から急階段に。

片山神社
ガードをくぐり急階段は続く。
とりあえず休憩、その先また直登。
だいぶん登ってきた。

旧道から少し外れたところにある鏡岩へ。三重県の天然記念物でスリッケンサイドという断層が生じた際に強い摩擦によって研磨され鏡のようになったそうだが今はまったく鏡ではない。

鈴鹿山の鏡岩

鏡岩の裏側からの眺め。足元が悪いのでご注意!

鏡岩から見下ろす。

豚コレラのテプラが貼られた箱?何だろう?帰宅後に調べると、野生イノシシへの経口ワクチン散布のために設置されたもののようでした。(豚コレラ感染防止の為に靴裏に消石灰をつけて消毒する)

豚コレラ?なに?
林を抜けると伊勢の国と近江の国の境。
すすきが秋っぽさを醸し出す。

西の難所「鈴鹿峠越え」と覚悟してい来たが、予想外にすんなりここまで来られた!

坂下宿からずっと登りだったが、まだ余裕のぶらっくま。
林を抜けると茶畑。

この辺りまで来れば携帯ラジオは不要かな。

万人講常夜燈脇の休憩スペース(トイレ)で、一服している同年齢の男性から声を掛けられる。その方は、宝塚から京都を出発して日本橋を目指しているそうです。お互い道中気を付けましょうと挨拶を交わしました。

万人講常夜燈

↓この先、一人歩きの女性(30代前半)からいきなり「どっち?」と声を掛けられる。身なりから、明らかに鈴鹿を越えて関宿方面に向かって行くのだろうと予想できたので「旧東海道、鈴鹿・関宿方面ですよね?この先です」と案内した。その女性、いきなり「どっち?」と声掛けしたことに気付き、恥ずかしかったのか照れ笑いされてました。

この先国道1号に合流。

この先寄らなかったが山中城跡があり。三島の山中城跡とは違うのだろうな。

山中信号

↑山中信号先のスノーステーション前あたりで少し早いが(10時45分)昼食に。カレーパンとアップルパイ風の菓子パン。😊

持参したカレーパン
遠くに見える橋は、新名神高速道路。
第2名神起工の地碑
猪鼻 旧道はこの信号を右折。

旧東海道はここ猪鼻を右折、国道1号を少し迂回する。旧東海道を歩く人が多いのでしょうか?二人のおばさんから「ご苦労様です」と声を掛けられました。お遍路さんみたい。

猪鼻村
旅籠中屋跡(明治天皇聖蹟)
猪鼻村

ぶらぶら歩く旧東海道 第38回その2 JR関駅~鈴鹿峠越え~JR三雲駅 に続く。

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