「限界国家」著者:楡修平の小説の一小節を読んで
「新技術の出現は、新たな雇用を創出すると言う人もいますが、今まで3人でやっていた仕事が1人でこなせるようになれば、2人いらなくなる。そしてその2人が新たな仕事をするための新たなスキルを身に付けるということは……」97頁12行目 限界国家を読み、過去自分が経験した事を思い出し大変、身につまされた。
新技術の出現を否定するつもりはさらさらないが、自分が経験した事を、いま改めて振り返ってみることに。

印刷会社に就職
1986年22才の当時、印刷会社としては社歴の浅い(創立13年目)、社員数30名ほどの印刷会社に受注営業として就職した。
当時の印刷業界は二つにカテゴリー分けされていた。
・簡易的な印刷物や頁物:軽印刷(タイプ印刷)と呼ばれ、タイプライターを用いて文字が組まれた。
・カタログ・パンフレットなど高品質な印刷物:写植で版下作成する一般印刷(商業印刷)

OA化時代
1980年後半より世の中OA化(オフィスオートメーション)が加速され、紙ベースの業務を電子化・自動化して効率化が一気に促進された。印刷業界でもタイプライターがワープロに、写植機が電算写植に置き換わってゆく。
自分が就職した会社でもワープロへの転換期で、古くからのタイピスト・写植オペレーターは、パソコン・ワープロ技術習得が必要となり、技術の習得が出来ないタイピスト・オペレーターさん達は、他部署でいままでとはまったく違った仕事に就くか職場を退去せざるを得ない状況になっていく。
就職した会社では当時、和文タイピストの社員が4人、そのうちワープロスキルを身に付けたられた人は1人。写植オペレーターが3人、電算写植でパソコンスキルを身に付けたられた人は1人だった。

若かった自分は「なぜ皆さんワープロ・パソコンスキルを身に付けようとしないのだろう?」と不思議に思ったのだけど60過ぎた今、わかるようになった。40・50代から新たなスキルを身に付けるのってすごく大変なことだよね。
ワープロ及び電算写植に業務が移行すると従来の版下作業がほぼなくなる。文字を切り貼りする作業や表罫モノの罫線をロットリング(製図ペン)で引く作業、写真のアタリを取るなどの作業がなくなる。次回、増刷の注文を受けた時は、データを修正して版下を再出力すれば済む。紙の版下も保存する必要がなくなり、保存スペースも大幅に縮小される。(紙で保存していた版下は、ペーパーセメントで切り貼りした文字が剥がれる事があったが、そういった心配もなくなる)
版下制作者の人数も大幅に削減され、在籍していた社員も数年後にはほぼ居なくなった。
デジタル化が加速
Windows95の発売でパソコン・プリンターがとても身近になってくる。パソコンは1人に1台が当たり前の時代に。
携帯電話、PHSが一気に普及。(ポケベルは消滅)2000年には携帯にカメラが内蔵され「写メール」が爆発的に普及する。
インターネットの普及
2000年代前半、通信速度が劇的に向上しインターネットが急拡大。ポータルサイトのYahoo、楽天市場など、世の中の仕組みや従来のやり方が一変するような事が次々に登場。出版業界・印刷業界はどこまで続く右肩下がり。商品製品カタログ、パンフレット、チラシ、マニュアル、報告書、事務系の帳票類や伝票など仕事はあっという間に無くなっていった。1990年バブル崩壊後、企業も行政機関も「予算がない、金がない」状況だったのも大きかった。

デジタルカメラが一般化
1995年に液晶モニタ搭載のデジタルカメラが発売されその後、印刷物に適応する画素数のカメラが販売されるようになると写真関連業界は衰退していった。フィルム購入、撮影、現像。出来上がりの写真を見るのに2~3日掛かっていたのが、デジカメならその場で確認が出来て何度も撮り直せる。プロカメラマンの需要は一気に減った。

DTPオペレーター1人で 製版工程も不要に
自分が印刷業界に身を置いて5~10年くらいの間、目まぐるしい環境変化が起きDTPオペレーターが1人で完結出来てしまう印刷環境(デスクトップパブリッシング)となっていった。
業界ではMacでの作業が標準化されていき、版下作業の効率化に留まらず次行程の製版作業も不要となっていった。製版は版下を大型製版カメラで撮影してネガフィルム・ポジフィルムを作成する作業。指定書通りの色や濃淡を付けるための作業・写真を色分解してはめ込む・オペークインクでピンホールを消すなどの細かな工程があったが、これもDTPオペレーター1人でイメージセッターからフィルム出力出来る環境へと移行していく。
自分が勤務していた会社に出入りしていた下請け製版会社3社は倒産や自主廃業となった。(3社とも従業員5人程度が勤務していた)

CTP導入で刷版工程も不要に
その後、しばらくすると(10~15年くらい)CTP導入(Computer To Plate)によって製版作業の次工程、刷版(PS版)までの出力が可能となった。DTPオペレーターが、印刷直前までの工程をパソコン一台で担える時代になった。
現実としては、各工程でのチェックや確認が必要のため完全に1人でとはいかないのだが、作業工程のスピードや品質の向上は目を見張るものがあった。
オンデマンド印刷
2000年以降、広告費の削減、インターネットの普及でマスコミ・マスメディア(新聞・雑誌・テレビ・ラジオ)の影響力が低下していく。個人のニーズも多様化していき従来のような大量の印刷物やチラシの需要が減り、小ロット多品種の取扱いが増えてくる。
カラーコピーやオンデマンド印刷は少部数で低コスト「必要な時に必要な分だけ」バリアブル印刷(可変データによる差し替え印刷)の需要ニーズに応えられるようになった。
印刷会社を辞める
21年間、受注営業として勤めていた印刷会社を退職した。自分が担当していたクライアントは比較的に優良な企業や団体が多かった。2000年以降広告費の削減・インターネットの普及で仕事が消滅。徐々に売上が低下していく。他業者にダンピングで取られる仕事、お客様自身事業が合理化を図り去年まであった仕事が今年から無くなったという事例も事欠かなくなる。
お客様のM&A吸収合併でお客様が居なくなってしまう事も。(自分のクライアントは吸収される側が多かった)
また当時、個人情報保護法が制定されお客様の事務所・営業所に自由に出入り出来なくなり、受付で内線電話を入れてから担当者と面談するというコミュニケーションが取りづらい環境になったことも大きかった。以前なら用もないのに「こんにちは。近くまで用事があったのでちょっとお寄りしました」なんて世間話が出来たのだけど。
自分の売上の低下(当時、会社での個人の売上高の低下率は自分が1番だった)分かっていてもどうにも出来ないもどかしさ。ネット上では安価な印刷サービスを提供する業者が登場し自社で見積した金額の5分の1、下手をすると10分の1という金額が提示されている。会社を退職する前、自社で価格対応出来ないものは下請けとして便利に使いました。(笑)
勤務していた会社は好きだったし、社長はじめ同僚の皆さんに引き留められたけど。この業界のあまりの先行きのなさに嫌気がさし見切りをつけました。
余談:数年後、仲の良かった元同僚の話しによると、会社の売上は低下し大量のリストラ。社員数は往時の半分、前回のボーナスは勤続年数に関係なく一律1人3万円。次のボーナスはたぶんゼロ。「ぶらっくまさんホントにいい時に辞めたね」とポツリ。
2026年2月現在こちらの会社まだ営業されています。
新技術の出現は新たな雇用を創出する?
3人でやっていた仕事が1人でこなせるようになると、2人は仕事に溢れる。21年間勤務した会社で、業界・会社を退場していった人をたくさん見た。自分もそのうちの1人。
業界を退場したみなさんは、それぞれの人生を歩んだことでしょう。新技術の出現はいい事であり、世の中にとって悪い事ではないと思う。ただその節目が自身に訪れたのは運命なのでしょう。
この度、62才を過ぎて過去を振り返ってみたが特に答えはない。ただ、こんな事があったと記録に残したかった。

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