お出掛け

真田父子ゆかりの地をめぐる その6 岩櫃城・沼田城跡

お出掛け
天空の城下町 真田の里 沼田

小諸城址 懐古園より岩櫃城へ向かう途中に立ち寄った道の駅 八ッ場ふるさと館。八ッ場ダムってこの辺りなんだ。来てみないとわからない。
ところで今、ブログを書いていて下の(↓)写真の左下。なんで彦根城の「ひこにゃん」が写っているのかと思ったら、長野町原のマスコットキャラクター「にゃがのはら」だった。

八ッ場ふるさと館

八ッ場あがつま湖に架かる不動大橋。

暑いのでソフトクリームがすぐ液状化してしまう。

シャインマスカットソフト 480円(税込)

岩櫃山の登山口に到着。ここから岩櫃城 本丸跡(標高802m)まで30分ほど。しかし本日、岩櫃山へ登るつもりはなく、雰囲気を感じるためにこちらまで来た次第。一度は登ってみたいと思うけど、俺のこの先の人生で登る機会があるのかな?

岩櫃城は真田三代ゆかりの地。信幸・幸村兄弟の祖父幸隆が落城させる。上野国北部の利根郡に位置する沼田城・名胡桃城と、信濃国の上田城とを繋ぐ重要拠点ルート。

岩櫃山 平沢登山口 観光案内所

案内板

登山口(本丸)

真田氏上州の拠点 岩櫃城 日本100名城

沼田城址(沼田公園)に到着。城という雰囲気があまり感じられない。公園にしているので仕方ないか。

沼田城は、天正8年(1580年)真田昌幸が攻略する。しかしその後この地の領有を主張する北条氏と真田氏との攻防が長い間続くが、豊臣秀吉の小田原城攻めにより北条氏が滅亡。秀吉は真田昌幸に信濃2郡と利根・吾妻の旧領を安堵。昌幸は嫡子の信幸を沼田城主に据えた。

沼田城址(沼田公園) お奨め度★★☆

沼田城祉 沼田公園

沼田城址

沼田公園 園内マップ

沼田市観光ガイド

鐘楼

沼田駅・子持山方面

沼田城絵図

真田氏時代の沼田城

堀だったのかな?

城内(園内)に建つ沼田の歴史物語。沼田城は、小松姫(稲姫)の逸話が多いのかな。

①真田家は関ヶ原の戦いに際し、昌幸(父)と幸村(次男)は西軍、信之(長男)は、徳川四天王の一人である本多忠勝の娘で家康の養女である小松姫を妻としていることから東軍に味方、父子が敵味方に分かれた。(=真田家の東西二股生き残り戦略)
昌幸と幸村が「孫の顔が見たい」と沼田へ立ち寄った際、信之が留守で城を預かる妻の小松姫は武装し「たとえ舅であっても敵」と入城を断るが、翌朝、昌幸の宿泊所へ子ども達と護衛を伴って孫の顔を見せたという超有名な逸話。
この逸話には、
・昌幸と小松姫に段取りされた高度な政治芝居(後日、家康にあらぬ疑いを信之に掛けられない為に)
・後世のフィクション
との説もあって興味深い。
②ここ沼田城での逸話ではないが、小松姫が夫を選ぶ際、家康に呼び集められた若い武将が平伏して並ぶ中、小松姫は彼らの髪(髻)をつかんで顔を上げさせ、品定めした。中でも、真田信之(当時は信幸)は「無礼であろう」と小松姫の手を扇子で叩いた。小松姫はその態度に惚れ込み、「この人こそ我が夫にふさわしい」と結婚を決めたという逸話。フィクションかもしれないが、いかにも猛将本田忠勝の娘っぽくて面白い。

小松姫は、沼田領内で小競り合いがあれば自ら武装して鎮圧するような武力を持ち、いっぽう、関ヶ原で負けて九度山へ流罪になった昌幸と幸村を心配して仕送りを続け、小松姫が病死した際は夫の信之は号泣し、周囲が驚くほど深く悲しんだ等の魅力的な逸話が多いので、何百年後まで人を惹きつけるのだなぁ~と思った。

沼田の歴史物語

真田信之・小松姫像

訪問日:8月2日(日)
「真田父子ゆかりの地をめぐる」は終了。帰宅後、名胡桃城にも行きたかったなと思い始めた。

 

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