7月5日(水)10時過ぎ原駅へ到着。今日は先日購入した自転車を持参、初の輪行なのだ。どんよりとした空模様で雲も低い。天気は持つかな?
東海道を戻ります。何故か? 前回のぶらぶら歩く東海道第23回の帰りに原駅周辺エリアマップをみて、興国寺城跡を知る。北条早雲旗揚げの城でここから伊豆韮山へ攻め込む足がかりとしたと説明が。司馬遼太郎「箱根の坂」を昨年再読したこともあって、よし是非行ってみよう。こんな寄り道が多いから、東海道なかなか先に進まない。
旧東海道から興国寺城通りへ城跡まで一直線の道路でした。国道1号を歩道橋で渡る。
原駅から興国寺城跡まで自転車で約20分。(写真を撮ったりしてたから正味10分位で来れそう)
平成7年に国指定史跡に指定され、平成29年に続日本100名城に選定されたそうです。
北条早雲旗揚げの城でここから伊豆韮山へ攻め込む足がかりとしたそうです。しかし昔の人はここから伊豆韮山まで戦に行っただなんて大変ですなあ。
北条早雲は後北条家の創設者。左の碑、城主の天野康景は慶長12年(1607年)部下の領民殺傷事件の責任をとり城を棄てる。興国寺藩は取り潰しとなって、興国寺城は廃城となったそうです。
北条早雲なんて大河ドラマにしたらおもしろそうだなあ。
真っ直ぐな興国寺城通りが旧東海道まで続く。この道は北条早雲が生存していた頃からあったのかな?
天守台から撮った大空堀。写真では伝わりにくいが、急斜面でこれでは攻め手側はたいへんでしょう。
残念。晴れていたら富士山が見えるんだろうな。
原駅方面まで戻り旧東海道へ。
俺もちょうどペットボトルの水がなくなったので並んで霊水いただきました。ミネラル分が含まれていると説明板にあり早速、一口。うまっ!
こちらの高嶋酒造の協力で霊水汲み場が現在地に移設されたようです。
小麦の奴隷、ネーミングがおもしろいパン屋さん。茅ヶ崎を歩いていた時にもあったのを思い出しネットで調べてみたらホリエモンのオンラインサロンから生まれた地方活性型「エンタメパン屋さん」でした。
ずっと直線が続く旧東海道。景色が変わり映えせず、少し飽きる。晴れてれば右手に富士山がずっと見えているんだろうなあ。
りっぱなお寺がありました。大通寺。
東海道線の踏切を渡る。
富士市に入った。
JR東海道線 東田子の浦駅 駅入口はタイルで富士山を表現している。ちなみに駅前は何の店もありません。少し腹減ってきた。メシ食う所ないかな。
立圓寺(りゅうえんじ)山門、立派!
山門の裏手にあるゲラティック号の錨。昭和54年の台風20号で柏原海岸に座礁したインドネシア船籍のもの。
境内には尾張藩の藩医柴田影浩が、ここからの富士の眺めを称賛して建てた「望嶽の碑」があるそうです。残念ながら山頂部が雲に隠れてました。
旧東海道は県道170号。左折!
毘沙門天妙法寺の入口。だるま市が有名だそうです。
境内は極彩色の龍などで中華街ぽかった。
鉢に蓮が並べられて、一鉢だけ咲いてました。
境内から富士山を眺める。晴れていたらなあ。右手の境内案内板も中華街っぽいでしょう。
JR東海道線の向こうは日本製紙富士工場。さび付いたタンク・白とオレンジの煙突が沢山ある。
静岡県田子の浦港管理事務所そばの交差点からの富士山。
富士と港の見える公園へ。
展望台より。スロープ階段を上がると最高の見晴らし。さっきまで雲で隠れていた富士山の頂上部分が見えてきた。やっぱ富士山ってテンション上がる!
本日はここまで。原駅を10時過ぎにスタート、吉原駅に14時到着。約4時間、約14キロの行程。
今回は興国寺城を回ってからの東海道、やはり自転車での輪行はすごい時間の短縮。タイトルは「ぶらぶら歩く東海道」なんだけど、まあいいか。膝の痛みは歩いた時の痛みと違う痛みが出たが気にならない痛みなのでよしとする。昼飯を食いそびれた。この辺りまでくると食事処がないこともあるので考えなければ。
ところで東海道線って東京駅~熱海駅間がJR東日本、熱海駅~米原駅間がJR東海の所有権だったのね。知らなかった。なので行く時・帰る時、改札でICカードを駅員に操作してもらわないと出られない。あとビックリなのが、東海道線って俺の中では乗客が一杯で大変混むイメージなんだけど、ここ吉原駅から沼津・三島間は3両編成なのね。3両なのよ! このあたりは東海道線でもローカル線なんだ!
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